時代は戦国が好き?時代劇情報!!

時代劇が大好きな村井亮介が最新情報を集めて書き込みます

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「風林火山」天下への道

2007年7月29日(日)放送

いよいよ晴信の生涯のライバル長尾景虎(ガクト)の登場です。
後の上杉謙信のことですね。景虎は夜伽を父親から命じられた
侍女の浪(なみ)にこう言います。「何故じゃ、何故皆慾を
捨てぬ。家督を継いですぐにこの有様じゃ。何故皆欲に屈する
のじゃ」と言い浪に教典を手渡して「これを読むことがわしへの
夜伽じゃ」と命じるのでした。しかしそんな景虎の脳裏によぎ
ったのは兄の「仏に帰依し経を読んだとて、その荒ぶる魂を
抑えることなどできまい」という言葉でした。浪へ語った言葉は
理想主義者であった景虎らしい言葉ですね。その生涯を毘沙門天
に誓ったとおりに生きて戦さに賭けた景虎は、その誓いの中には
女性に手を触れぬ、というのもあったそうですね。生涯男色で
あったわけでいくら立派でもやっぱりキモイですね。

 一方で勘助の幼馴染みの平蔵は村上義清に見込まれて近習に
取り立てられ、その主には知行が与えられて、思い続けていた
主の娘、ヒサをもらってくれと頼まれます。ようやく平蔵の
ひたむきな想いが報われたのですね。僕にはこの平蔵の生き様が
一番共感できます。でもなによりも義を重んじる平蔵の生き様は
戦国時代というよりも別の時代向きという感じがしてなりません。
しかしこの幸せももうじき晴信により壊されるのでしょうね。

 山本勘助(内野聖陽)はと言うと主人の武田晴信(市川亀治郎)
とその将来の目標についてこのように語っていました。「お館様、
この勘助の眼にも天下への道筋がはっきりと見え申した」「ほお、
いかなる道じゃ?」「まず信濃を納め、越後へと突き進みます。
越後の先には海がございます。」「海、か」「その海を手に入れ、
それから駿河へと目を向け、南北二つの海をお館様の手で貫いて
戴きます。」「二つの海を甲斐が貫く、か」「さすれば、この
甲斐は天下に二つとない強国となりましょう」「勘助、わしには
もう迷いはない。天下を取り、都にそちの旗を立て、仏法王法の
規範となる政を行いたい。それがわしの目指す道じゃ」「必ずや
この勘助が」

 武田信玄は生まれた場所が悪かったという説もありますね。
織田と上杉の間というのはあまりに過酷な位置ですからね。
もう少し京に近かったなら、そのような勘助と晴信の夢は叶った
のかもしれないですね。しかし信玄の主義を継いだ形となり
家臣達も引き継いだ徳川家康が天下を獲ったのは晴信の夢が
形を変えて実現した、ということなのかもしれませんね。

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「風林火山」逆襲!武田軍

2007年7月22日(日)放送
「風林火山」逆襲!武田軍

 村上軍との戦さに初の負け戦を経験して重鎮ともいうべき
甘利虎泰(竜雷太)と板垣信方(千葉真一)を失いショックを
隠せない武田春信(市川亀治郎)は戦さが終わってもまだ
信濃の物見山に帯陣し続けていた。
 「なぜ、わしは負けなければならなかったのじゃ。板垣や
甘利が、わしの下知に従わなんだからじゃ」という春信に
軍師・山本勘助(内野聖陽)は「この戦さ長引けば家中の不満
はお館様へとむけられましょう。板垣様甘利様も、それを
お按じになられたのでございます。」「それではまるでこの
わしが板垣や甘利を殺したようなものではないか」「板垣様は
最期までお館様を御守りしたのです。ご本懐を遂げられたの
です。」と説得したのです。しかし春信はまだ陣を引こうとは
せずに母親の大井夫人より書状にて説得されてやっと引き上げた
のでした。それは合戦より20日以上が経過して後のことでした。
 
 大井夫人は春信にこのように語りました。「国のために利を
求めることも大事。なれど人を慈しむ心なくば、その利によって
国が滅ぶこともあろう。甘利と板垣は(中略)そなたの天運を
信じるが故に死をもって諫めたのじゃ。そなたは今一度己の
道を見つめ直さねばならぬ。人々は強いそなたを信じるのでは
ない。そなたが信じるものを皆も信じたいのです。」

 勘助はこの敗戦を受けて「わしは諏訪の形勢を見誤った。
いや観てはおらなんだ。慢心があったは、このわしじゃ」と
自分の責任を強く感じていました。春信はと言うと「わしは
此度の負け戦で忘れかけていた心を取り戻した」と息を吹き
返した模様でした。

 一方でこの敗戦を受けて、諏訪の西方衆は反乱を起こしました。
そしてその支援のために小笠原長時は一軍を率いて諏訪へと
攻め込んできたのです。
 軍議の席で勘助はこう明言しました「敵の油断と七月のこの
暑さが我らが味方となりましょう。」そして諏訪衆はことごとく
武田の味方についたのでした。それは板垣が用意した諏訪明神の
法号の旗印のせいでした。そして板垣は小笠原家中の寝返り
工作すらも進めていたのです。

 そして7月19日の卯の刻。武田軍は小笠原軍に奇襲を
しかけ、大勝するのです。国境にて七日間も留まっていた
武田軍を観た小笠原は臆していると判断し、油断しきって
ほとんどの者達が甲冑を脱いで涼を求めていたのです。

 戦さが終わり、板垣を追って殉死しようとする伝兵衛に勘助は
「追い腹を斬るか伝兵衛?それもよかろう。最も楽な死に方じゃ。
板垣様は楽に死ねたかのう?拾った命は存分に生かさねばまだまだ
板垣様のお側には行けぬぞ、伝兵衛!」と叱咤激励するのでした。

 勝ち戦も幕を引き、諏訪へと落ち着いた春信は諏訪明神の
法号を前に板垣に誓うのでした「わしは生涯、わが甲斐に城は
築かぬ。そちたち人こそがわしの城じゃ。人は城、人は石垣、
人は掘り、情けは味方、仇は敵なり」と言ったときにどこからか
オニヤンマが飛んできて春信の腕に泊まり、それが板垣の幻と
変わったのです。「若、よき歌にございますのう。人は城、人は
石垣、人は掘り、情けは味方、仇は敵なり。よき歌にござる」
そして春信に一本の扇子を渡し消え去ったのでした。

 自刃しようとした伝兵衛を止めた勘助。その言葉は現代の
若者への言葉でもあるように思えます。今、軽々しく命を扱う
人が増えているのです。死んだものと思って頑張れば死ぬ
くらいの覚悟が生きることに向けられればまだ何かしらできる
と思うのです。一時つらさを忘れるために何か趣味に逃げる
のもいいでしょう。逃げる先がある人は強いのです。正面から
ぶつかって死を選ぶ人は実は弱いと僕は思うのです。僕自身
身を危うくする様な大変な目に何度も遭っています。ここでは
書けませんが、それでも生きていればいい風は吹いてきたの
です。なにがなんでも生き続ける、それが一番大事だと思うの
です。

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「風林火山」両雄死す

2007年7月15日(日)放送
「風林火山」両雄死す

冒頭で板垣信方は山本勘助に遺言ともとれる言葉を言い残します。
「わしは若をいさめるために歌を習うたことがある。
『飽かなくも なほ木の元の 夕映えに 月影宿せ 花も色添う』
勘助、そちが月影となれ。そちが月影となってお館様を照らし
続けるのじゃ。それでこそ軍師というもの。この甲斐の国の真の
軍師となるのじゃ」
そこには板垣の激しい覚悟を秘めていました。家臣に対しては
「この戦さは我ら先鋒のみで終わらせねばならぬ。わしはもはや
生きて甲斐には戻らん」と語っていたのです。

 一方で甘利寅泰は家臣に「わしはこれより敵に内通する。
しかし、真の内通にあらず。わしは敵の懐に飛び込み、敵の大将の
首を取る。わしはもう戻るまい」とこれまた語っていました。

 二人の重臣は揃ってこの戦さの勝ちのために命を投げ出すつもり
でいたのです。それは春信が勝ちの見込みのない大戦さを仕掛けて
いるからにほかならなかったのです。

 敵の村上義清は「(負ければ)男は金山に送られ、女は遊女に
落とされる。この戦さ我らに正義あり。」と味方を鼓舞して
村上勢は意気軒昂なのでした。

 そして村上八千、武田一万という上田原の戦いは幕を下ろした
のです。甘利は後一歩というところで、勘助の幼なじみの平蔵の
弓矢に邪魔をされ、逃げ帰るところを討たれます。板垣に
「謀はやはり不得手。すまぬ」と言い残し絶命したのでした。
板垣は勘助の朋輩の伝兵衛を春信の影武者に立て、敵を一手に
引き受けて、敵に囲まれ、歌を詠みながら華々しく討ち死に
しました。

 勘助は春信に「戦さを早く終わらせるためでしょう。その
ために甘利様はお館様の槍となって、板垣様は盾となったの
です。」と述べたのでした。そして両軍の戦死者は六千とも
言われる大激戦となったのでした。

 我が身を犠牲にして守るべきもののために計略を立て、実行
に移し失敗した板垣と甘利。そこには男の命の終焉の美学が
あり、真にそれは美しいものです。武士としてまさにこうある
べきという姿でしょう。何がなんでも勝つという勘助の主旨
とは正反対の、悲しいことに戦国の世では負け犬の美学でも
あったのです。現在の世においても大切な人のためには命を
投げ出してもいいという覚悟は必要でしょう。ただそこには
謀などはあってはならないのが戦さの社会と現代の恋愛に支配
された社会との違いなのでしょう。

 二人の重臣を亡くした春信。今後、どのようにその主義を
変遷させていくのでしょうか。今後の展開が見逃せませんね。

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「風林火山」最強の敵

「風林火山」最強の敵

 冒頭で勘助と平蔵が各の人生観について語っていましたね。
平蔵「10年前に大事に思っていた物が、今うんと幸せに
なっちょる。10年前にできんかったことが、今できるように
なっちょる。そんな生き方がしたいんじゃ」
勘助「己を裏切らねばよいのじゃ。己がこうしたいと願うことの
ためには人を裏切ることもあるのじゃ」
対照的な二人の考え方ですね。いかにも謀略に長けた勘助らしい
と思わされます。物語としては勘助のようなキャラには魅力も
感じますが、根本的に私は平蔵タイプ。もし私が戦国の世に
生まれていたなら、勘助とは対立しただろうな、と思わされます。

 一方で甘利寅泰との会話では
勘助「一つの負けが後の百の勝ちを生むこともあります」
甘利「戦の勝ち負けとは誰を裏切ったか裏切られたか、ではない。
また生きるか死ぬかでもない。何を守り、何を失ったかじゃ。
守るものあらば、いかにしても勝たねばならん。それが戦じゃ。」
と、これまた対照的に論じ合っています。信念としては甘利の考え
はいいと思うのですが、勘助の様に冷静に考えていかないと国の
運営はできなかったのでは、と思わされますね。

 主君の武田春信は戦に負けることを恐れています。勝ち続けた
ことで、戦う事への恐れをなくし、代わりに負けることへの
恐れが生じた、と由布姫は言っていました。そのせいもあって
春信は堅固な城を築きたいと家臣達に言うのです。

 うまくいきすぎた時の恐怖感というのはありますよね。たとえば
野球であと1回でノーヒットノーランと言う時のピッチャーの
心理状態なんて恐怖に満ちているでしょうね。私はそこまで何かが
うまくいった経験というと最初の彼女とすごくうまくいっていた
時に感じたことがありましたね。結局崩壊しましたけど(涙)

 甘利寅泰は平蔵を通じて村上義清に内通してしまいました。
これが何かの計略によるものなのかどうか、来週は甘利と板垣信方が
戦死するエピソード「両雄死す」です。お見逃しなく。

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プロフィール

村井亮介

Author:村井亮介
アニメが大好きなウェブ詩人でネットショップ店長。
球技系のスポーツが大体得意。



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